集中力が落ちている時にブログを書くと、文章力が落ちる

ものすごくシンプルな事実に気付いた。

論理構成も文章構成もめちゃくちゃで、テンポも悪ければ、何を言っているか、伝えたいメッセージさえ分からない。そんな文章になっていることがよくある。自分の文章力の低さに呆れ果てるケースが。

最初は別の原因があると思っていた。後から自分の文章をチェックすることで、文章力の問題が、急に客観性を持って露呈する瞬間なのではないかと。だけど単にそれだけなのだろうか。そうではなく、そもそも書いた時の集中力が文章の質に影響しているのではないか。なぜなら、逆にあとで見返して「そんなに悪くないな」と文章も、たまにあるにはあるのだから。

たとえば、そもそも体力が弱っている時に、アルコールで酔いながらブログを書いたりすると、その時はスラスラと書いているつもりが、後日見返すとやはり大変なことになっていたりする。書いている瞬間は確かに「キーボードを心地良く叩けている感覚」があったのに。文章構成の脳は死なずに動いていたはずなのに。それがまったくの思い込みだったことが分かる。まさに「酔ってる人は酔っていないと思いこむ」という法則だ。

文章力より集中力。集中力なしには良い文章は書けない。

ところで。

この記事を書いている今といえば、決して集中力が高い状態とは言えない。なので何が書きたいのか分からなくても、論理構成が弱くても、言い訳がましくたって、どうぞご容赦お願いする、と架空の読者にむけて訴えかける。そう俺は読者ゼロでも気にしない鉄壁のブロガー。自分が自分のファンだから、永遠に読者には困らない。のさ。そうさ。

嗚呼、やっぱり文章力自体がまだまだ弱いのかもしれない。

良いブログ名が思いつかない時は「独り言」っていう名前をつけがち

新しいブログ engineer.yumainaura.net を作ってみたが、「独り言」っていうサフィックスのブログ名を付けてしまった。

「放っておいてくれよ」「独り言なんだから、期待しないでくれよ」っていう感じがおもむろ出ている。まあ間違いじゃないし、もちろん悪いことでもないんだけど。

安直に付けがちな名前すぎて、本当はちょっと敬遠したい。かといって良い名前を思いついていない。また何か良いものが思いついたら変更しよう。

以上。

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ブログを書くのにメモは取るな

思いついたことを片っ端から書いて行けば良い。メモを取れば取るほど、メモを取ることに満足してしまって、ブログを書くことが出来なくなる。だからブログのネタは頭の中に描いておけば良い。メモを取らずに頭の中であれこれ考えるという行為自体が、ブログのネタを育てるということだ。

ギリギリまでアウトプットするな。アウトプットは満足だ。その満足を小出しにするな。メモはアウトプットだ。メモをとるということはアウトプットを無駄遣いするということだ。それよりもまっさらなブログのフォームにキーボードで墨をぶつけるんだ。これがスプラトゥーンなら墨は無駄遣いするな。無駄弾は撃つな。戦死するぞ。

ブログのメイン画像を、自分の幼少期の写真にするってどうなの?

3min.yumainaura.net のデフォルトのソーシャル画像を、自分の幼少期の画像にしてみた。

気にかかったのは「周りから見て痛くないか」ということ

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だが気付いた。

「誰も見てないから大丈夫!」

自分が気に入るならそれでOKということにしよう。

自分で見ていて痛くなってきたら、また変えれば良い。

僕がブログを実名で書く理由 (あるいは仮名でブログを書かない理由)

まあFacebookがスタンダードとなった今では、実名で文章を書くことなんか、何の変哲もないのだけど。

仮にブログを仮名で書くとすると、二つの名前を持つことになる。だけど僕は今、複数の名前を持ちたくない。

仮にブログを仮名で書くとすると、リアルとネットのつながりが失われることになる。この小さな線路は残しておきたい。行き来できるようにしておきたい。

ただ実名でブログを書くからと言って、有名になりたいわけでもない。インフルエンスしたいわけでもない。実名だけど、誰からも指図されず、言及されないような、世界の片隅で記事を書いていたい。

アイデンティティを保ちながら、このアイデンティティをそっとしておきたい。そんな気持ちだ。

ほんの少しだけ世界にアクセスしている感じ、アクセスの可能性を残している感じが良い。

 

ブログのタイトルとサブタイトルを入れ替えてみる実験。

どちらが印象に残りやすいだろう。

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いやそれよりも、どちらが自分の気に入るところだろうか。

( kininaru-book.wordpress.yumainaura.net )

ブログってやつは、書けば書くほど愛せるようになる。

最近、ブログを書き終わった瞬間の、ざわざわした感じは、だいぶ無くなってきた。

今まではPubishボタンを押すと同時に、0.1秒前までかかっていた魔法が切れて、なんだか心がざわついていたものだけれど。その感覚がかなり減った。

そしてまたすぐに、次のブログ記事を書くことが出来る。薬が切れたらすぐに次の薬を飲むみたいな感じで。そこまで体に悪くないジャンキー感覚。

波に乗り慣れて来たのかもしれない。

ブログを書くという行為と、仲良く付き合えるようになってきた気がする。

前よりも文章を書く感覚は軽やかだし、キーボードを打つ手も軽やかだ。

次の文章を考えながら悩む、空白の時間も減ってきた。

(「その時出ないものは、いくら考えても出ない」と悟った)

環境づくりの成果

たとえば、Wi-fiのつながる静かなカフェ、好きな時間を見つけたから、もう環境で悩むこともない。

右のポケットにはMacBookの充電ケーブルも収まっている。

キーボードの音もさらに、耳に心地良く響くようになってくる。カフェの環境音楽と、混じり合う感覚。そいつを楽しむ。

WordPressを使い始めてから

1日に書ける記事の上限個数も気にしなくて良くなった。

人生で一番好きなことは、ブログを書くこと。人生で一番嫌いなことは、ブログのアクセス解析を見ること。

この二つは同じ「ブログ」という水平線上にあるのに、まったく違う生き物みたいだ。

特に始めたばかりの、何のアクセスもないブログでアクセス解析なんか見てしまうと、さっきまでの魔法がすっかり消えて、世界中から取り残されたような、断絶された感覚になる。

魔法を消さないで。

大事なのは、キーボードを打つ手を止めないこと。

アクセス解析を見るのではなくて、手を動かす。

誰かへのメッセージではなくて、キーボードを打つ心地良さのためにブログを書くことだ。

何度も原点に立ち返ろう。

ブログで大事なのは中身じゃない。キーボードの触り心地だ。

ところで僕が書いているのは、なんの影響力もないブログだけど

はてなブログの「マインドフルネスやってみた」は月に3000件ほどのアクセスはあって、ほんの少しだけ人の役にも立っているんじゃないかとも思っている。

あとはやはり「世界に影響している」という感覚は、たとえ錯覚だとしても、悪いものじゃない。

継続は力なりというちょっとした満足感がある。

ブログを書いている間は、嫌なことも忘れられる。

キーボードの上で手を動かしていると、だいたいの嫌なことなんかは忘れてしまえるのだった。

それが逆説的に、自分がブログを書くのが好きだということを証明しているのだと思った。

ブログを書くのには癒やし効果があると思う。

サウナに行くよりブログを書こう。

君はいつも僕の薬箱さ。

ブログはストレス解消法。

サンドバックを打つよりキーボードを打とう。

えぐりこむように打つべし、打つべし。

「筋トレは最強のソリューションである」に学ぶ、ブログのテーマの決め方。

「筋トレは最強のソリューションである」は画期的な本だ。

それまでの筋トレ本は「そもそも筋トレに興味がある人向け」に書かれていた。

「この筋肉を鍛えたいなら、こんなトレーニングをしなさい」というような感じで。

だけどこの本は、矢印の向きが違う。

「筋トレに興味はないが、問題解決をしたい人」に向けて書かれている。

たとえば「気分が滅入るなら、筋トレをしよう」「モテたいなら、筋トレをしよう」「仕事が出来る人になるため、筋トレをしよう」みたいな感じで。

筋トレに関係のない問題が最初にあり、その解決策として筋トレを提示しているのだ。

これは優れたアプローチだと思う。

なぜなら今ある輪の「外」に向けてメッセージを発信して、輪を広げるやり方だからだ。

輪の外に向けてブログを書く

この方法だと、ブログの記事はいくらでも思いつきそうだ。世の中の人が持つ問題の数だけ、解決策が提示出汁からだ。

ということで、僕も

「瞑想は最強のソリューションである」なんていうブログを作って運営してみたい。

「気分が滅入るなら、瞑想をしよう」「モテたいなら、瞑想をしよう」「仕事が出来る人になるために、瞑想をしよう」みたいな感じで。

入り口から出口へと。瞑想に興味のない人に対してリーチするブログを書いてみたい。